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特攻と残業

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昨年末に、映画「永遠の0」をDVDをレンタルで見ました。
※小説の方は8月くらいに文庫本で読んでいたので前から見てみたいなぁと思っていました。

物語の中で「特攻」というものがキーワードとして登場しますが、特攻と残業って似ているなぁと思ったので書いておきたいと思います。
※ここでいう残業とは、残業代として対価が支払われる残業ではなくサービス残業を想定しています。

■特攻と残業の共通点

・表面的には強制ではない

特攻隊の隊員というのは、強制的に指名されたのではなく、志願制だったそうです。
しかし、「志願」というのはあくまで表面的なもので、当時の日本を支配していた空気の中で、志願しないという選択をすることは難しかっただろうというのは想像できます。
※非国民という言葉もあるくらいですから。

一方で、企業でのサービス残業の多くも表面的には強制されているものではないと思います。

むしろ、

「周りの空気読めよな!な!?」

という職場での環境に圧迫されて残業するというケースがほとんどだと思います。

私自身も、

「帰りたいけど、上司や周りの同僚が帰っていないし、周りの目が気になって自分だけ先に帰れない・・・」

という経験はしたことがあります。

「強制労働」「強制連行」「強制排除」

のように、「強制」という言葉にはよくないイメージがありますが、
人に何かを強制するというのは強制する側も決していい気持ちのするものではありません。

強制するということは、強制された側からの憎しみや恨みを買うことになりますし、反発を招く元になります。

しかし、特攻のように表面的には強制でなければ、命令する側からすれば

「部下たちは自分達の意思で特攻に志願した。だから自分達は悪くない。」

という言い訳もできます。

その上、志願しなかった人間に対しては、

「みんなが志願する中で、お前だけは志願しないのか?この、臆病者!卑怯者!」

と非難することができます。

この構図は残業についても同じように、

「みんなが残業する中で、お前だけは残業しないのか?この、臆病者!卑怯者!」

と言い変えても何の違和感もありません。
考えてみれば、反感を買うリスクを回避した上で相手に犠牲を強いるのですがらよくできた手法ですね。

・上官(上司)が責任を取らない

何かを強制するというのは、例えそれがひどいものであっても、強制した人間が「強制する」という決断をした上でのことです。

決断には責任が伴います。

特攻や残業での「部下の意思に任せる」というのは決断すべき人間が決断することを放棄しています。

ヒトラースターリン毛沢東ポルポトといった指導者はその判断や政策を後世の人間に非難されますが、日本の特攻に関しては具体的な人名を上げて責任が問われるということがあまりないように思います。
※一般に大西滝次郎黒島亀人が特攻の生みの親というように言われますが、特攻を批判することはあっても特攻という作戦について誰かにその責任を問う意見はあまり耳にしません。

もっとも責任が問われないのは特攻に限らず日本の戦争指導全般に言えることかもしれません。

日本では戦時中の官僚や軍人が戦後に政治家として活躍したりしていますし、現代の政治家はその世襲だったりします。

共産党志位氏は陸軍軍人の子孫のようですし、安倍総理満州国建設に関わった岸信介の子孫ですね。
※また源田実辻政信といった軍人も戦後に政治家になっています。

戦後はまがりなりにも普通選挙制のもとで政治家が選ばれたことを考えると日本人がそれを望んだということかもしれませんが。

・立場の弱い人間に押し付ける

特攻で死んだ人の多くは10代後半から20代前半の若者だったそうです。
永遠の0では、予備士官に最低限の飛行機の操縦を教えて特攻作戦に投入した様子が書かれています。
一方で上級将校や海軍兵学校出身のエリートは特攻には出撃していないそうです。

サービス残業も組織下級の人間の犠牲によってなされることが多いです。
組織の上級の人間は表向きマネジメントが仕事なのでサービス残業中に行われる実務にはかかわることは有りません。
もっとも、現代の日本企業の場合、管理職の人間も手当をつけるかわりにサービス残業を強いられていることが多いと思います。

・特攻することに意味がある

書籍の永遠の0では、終戦間際に特攻作戦が常態化してくると、特攻によって戦果を挙げることよりも特攻に出撃し死ぬこと自体が目的になっていたという状況が書かれています。

これも、残業にそっくりそのまま言い換えることができると思います。

本来定時後に会社に残って仕事をするのであればそれに見合った成果を上げるべきなのですが日本企業では、

「定時後に会社に残っていること」
「休日に会社に出社していること」

自体に意味があり、場合によっては

「あいつは、頑張っている!」

などと評価されることがあります。

成果というのは、

戦争においては

「相手に与えた犠牲-味方が払った犠牲」


現代の企業においては、

「仕事の結果÷使った時間」

のような指標で評価すべきだと思います。

ところが、特攻にしろ残業にしろ

「払った犠牲の量」

で評価されてしまっています。

何を指標として評価するかは組織によって異なるのは当然だと思いますが「犠牲の量」を判断材料として戦争をしては敵に勝つことはできないでしょうし会社を経営して成功することはないと思います。

■特攻や残業は悪いことなのか?

私は基本的に特攻や残業は悪いことだと考えています。

しかし、残業については「よい残業と悪い残業」というのがあるのかなと思います。

例えば、お客様からの急な要望への対応や季節毎の繁忙期などで一時的に仕事量が
増えて残業しなければならない場合はあると思います。
しかし、この場合もしっかりとした決断と責任を伴った形で残業が行われるべきだと思います。
逆に、明らかにできない仕事を無計画に引き受けたりして、どうしようもなくなった段階で、
ただ単に

「頑張れ!」
「何とかしろ!」

というのは悪い残業だと思います。
ビジネスにおいて、正しくマネジメントができていればこのような状況に陥ることはないと思いますし、そもそも「残業しろ!」と命令するだけであれば幼稚園児や小学生にだってできます。

優れたマネジャーであれば、

「どうすれば残業しなくてもよい状況に持っていけるか」
「残業するのとお客さんと交渉するのとどちらの方がメリットがあるのか」
「この仕事で残業が発生した場合にどこまでなら犠牲を払えるか」

といったことを常に考えて決断を下していると思います。


ちなみに、どうしようもない状況におかれた場合自分がマネージャーであれば、

「残業は絶対するな!何がなんでも定時内で終わらせろ!」

と命令します。

「残業してでも終わらせろ!」

というのは誰でも言えますし、言われた方もしぶしぶ残業すると思いますが、

「残業するな!」

と命令されたなら、当人だって早く仕事を終わらせて帰りたいでしょうから必死になります。

あるいは、

「そんなの無理だ!あの野郎理不尽な命令しやがって!」

と思うかもしれません。

その場合でも、しぶしぶながら仕事を終わらせる方法を考えるでしょう。

もともと残業しないと終わらないような仕事であれば「残業するな」と命令した結果、本当に残業しなくて終わらせられたなら儲けものですし、仮に残業してしまった場合でも、命令された方も頭を使って考えた分いろいろと成長すると思います。

なのでどちらに転んでも「残業するな!定時内で終わらせろ!」と命令した方が得です。
※そういえば特攻に関しても、部隊の方針として特攻はやらないというポリシーを持っていた部隊もあったそうですね。


長々と書いてきましたが、私は特攻も残業も大嫌いです。

特攻のように兵士を無駄死にさせるくらいなら、
ならなぜキューバベトナムアフガニスタンのようにゲリラ戦をしなかったのかという疑問がわきます。
当時を生き抜いた方には怒られるかもしれませんが、あの時代の軍人や政治家たちは本気で戦争をしていたんだろうかとさえ思います。

今年は2015年なので終戦からちょうど70年になりますが、特攻と残業が似ているということは日本人の精神構造があまり変わっていないということかもしれません。

ただし最近になって「ブラック企業」という言葉が一般的になり、ネットを中心にいろんな企業の労働環境が公の元にさらされるようになってきたということは1つの救いだと思います。

ネガティブな面もあるかもしれませんが今後もこのような流れが加速して、人々がフェアに情報を手に入れられる環境の元で、自らの意思で働く場所や働き方を選択するという世の中になればいいと思います。