ちょっと気になる記事を最近読んで、「根性」という言葉について思ったことを上げておきたいと思います。
この記事の話の中で、上司の方が、
低学歴の奴は勉強する根性さえ身についていない怠け者や。そんな奴に仕事ができるわけがない。
とこの話の投稿者の方に語られますが、実はこの上司の方と私も同じようなことを最近感じていました。
去年の夏にシステムプログラミング会という集まりに参加させて頂いたのですが、参加されている方に東大を卒業されている方が多かったようでした。
3流プログラマの私からすると信じられないくらい優秀な方々で、話しかけるのも畏れ多いような感じもして、自分の無能さに腹が立つと同時に皆さんの才能をうらやましく思いました。
ところが、話を聞いていると(東大を卒業されるような優秀な方達でも)勉強を苦痛と感じることがあって、それでもそういう時間を乗り越えた上で現在にたどり着いている人もいるということでした。※もちろん才能・天才という言葉でしか説明がつかないような方もいらっしゃると思いますが。
やはり、
「努力って大切なんだな」
と考えさせられる経験になりました。
同時に、
自分の能力が低いということは、
- 努力していない
- やる気がない
- 根性が無い
といった側面があるのかもしれないと感じました。
根性というと体育会系のイメージがありますが、考えてみれば勉強するのも結構大変です。
地道に単語や年号を覚えたり、数学の難しい問題に取り組んだりするのはしんどかったりします。
甲子園に出場する野球部のイメージとかだと、部活の練習の時間は頑張って授業の時間は体力回復のために寝て勉強はまったくしないというイメージがあります。
※もちろん全ての高校球児がそうではないでしょうが、実際のところよくある話だと思います。
これって捉えようによっては、
好きなことだけやって、勉強はしないなんて根性無いやつや!
という見方のできると思います。
そもそも、
根性=辛くても耐えられる力・乗り越えられる力
というイメージがありますが、要は好きなことや到達したい目標のためであれば人間頑張れるものなんだと思います。
傍からみたらなんでそんなに頑張っているのか分からない・・・
すごいな、俺には無理だな・・・
といった気持ちを表現するために根性という言葉があるんだと思いますが、当事者が、好きなことや目標のためにやっていることであればそれを根性という言葉で表現するのは適切ではないような気がします。
要するに、根性の本質は
取り組んでいることがどれくらい好きか?
ということだと思います。
そこまで好きでなければ途中でやめてしまうという感じでしょうか。
体育会系的根性のメリット
ちなみに、体育会系的な根性と勉強を通して身につく根性の違いはなんでしょうか。
思いつくのは他者との関わりです。
勉強は一人でするもので、自分との闘い、自分と向き合う時間になりますが、スポーツなどは他人との関わりがあります。(個人競技であっても部活等の練習は集団でする事になりますし)
そういう意味では、体育会系的根性のある人は人との関わり方に耐性があるという点で優れているのではないかと思います。
人間という言葉が人の間と書くように、社会人として、人と人との関わりの中でしっかりと生きていけるというのは
文武両道
結局のところ、
「体育会系的根性もあるし、勉強で培った根性もある」
といういわゆる文武両道型人間が最強の存在なのかもしれません。
※う~ん、なんか欠点が無い人間って嫌な気もしますが・・・
一番大切なことは何か?
記事を書いてみて思ったことですが、
「あいつは根性あるな」と
言われるくらい頑張れるもの・好きなものを見つけること
が何よりも大切だと思いました。