突然ですが、僕は高校生にずっと疑問に思い、心の腑に落ちずに考えていたことがあります。
社会人になった今でも、当時を思い出す度に少し心が切なくなる感情とともに考えてしまう疑問です。
それは、
「なぜ勉強しないといけないのか」
「なぜ大学に行かないといけないのか」
「自分は将来どんな仕事をしたいのか」
という疑問です。
高知県に生まれた僕は、中学校から私立の中高一貫のいわゆる「進学校」と呼ばれる学校に進学しました。
※正直、全国的にはそんなにレベルの高い高校ではなかったので、都市部で「進学校」というと笑われてしまいますが、それでもまぁ高知県では「進学校」だったんです。
その学校では高校2年くらいから大学受験を意識したカリキュラムで授業を受けるのですが、当時の僕には正直、大学に行く理由というのが明確に分かりませんでした。
そもそも私立の中学校を受験した時も、今思えば
「受験して合格したら地元の中学校に行くよりも将来的によくなりそうだから」
ぐらいの理由で受験したように思います。
大学受験の勉強をするにあたっても、
特別な志望校があった訳ではなく、
「偏差値の高い大学に行っておけば、とりあえずよい人生が送られる」
「周りの人は受験するのだから自分も受験する」
「いい大学に行けばいいことがある」
という雰囲気があって、その雰囲気に従っていただけでした。
周りのクラスメイトも同じような感じの人が多かったような気がします。
そういう気持ちで勉強していたからか、受験勉強は今思っても本当に辛かったです。
何がつらいのかと聞かれてもはっきりと思い出せないのですが、辛かったです。
受験生だった当時からもう10年以上の月日が経ち、社会人として生きてきた中で強く思うのは、
「何のために勉強するのか」
という目的意識がなかったから受験勉強が辛かったんだと思います。
当時も今も、
「○○しておけば、XXできるようになるから」
という、何かをやって得られる結果のために勉強や仕事をするという思考が当然のように存在しますが、数年間社会人として働く過程で、結果が大切なのではなくて、むしろ
「何のために○○をするのか
という目的意識の方をしっかりと持つことの方が重要ではないかと強く感じるようになりました。
人は生きていく中で目的意識を持たずに行動してしまうことが多々あります。
もちろん結果的にその方がうまくいく場合もあるかもしれませんが、仕事や勉強でなかなか結果が出ないときには、受験生の時のぼくのように、
「なんでこんなことをしなければならないのか」
と思い悩む時もあると思います。
そして、悩みが次第に膨らんで、自分の心がいっぱいになったとき、現実から逃げ出したいという気持ちに支配されて物事を途中で投げ出してしまったりすることにつながったりします。
ぼくの心を苦しめた、
「なぜ勉強しないといけないのか」
「なぜ大学に行かないといけないのか」
「自分は将来どんな仕事をしたいのか」
という疑問は受験生やあるいは就職活動をされている学生の方も同じように持たれているかもしれません。
※あるいはすでに就職されて1~2年経って仕事に慣れてきた社会人の方もまた同じように感じることかもしれません。
この疑問に、若い人たちが、自分なりの答えを見つけられるきっかけになるような記事をこのブログに書いていきたいと思います。
追記
この記事はこのブログ(mcommit message)とは別のブログで書いていた記事ですが、そちらのブログの更新ができていなかったので本ブログへ移動しました。