2017年もはや20日を過ぎました。
正月からいい感じに忙しく仕事をさせて頂いているのですが、最近コミュニケーション能力について考えることがあったので私の考えをまとめておきたいと思います。
なぜコミュニケーションについて考えたのか?
詳しく書くと長くなってしまうので、簡単に状況を説明すると、複数人で開発するプロジェクトに参加していて、何名かのメンバーの方達と十分に理解しあうことができませんでした。メンバーの方達の基本的な技術力が一定のレベルに達していないということが要因としてありましたが、それ以前に、仕事の進め方や取り組み方について、私がその方々の事よく理解できなくて、悩んだというというか、いろいろ考えてしまい、自分なりに一定の答えが出たので書いておきたいと思いました。
※仕事の技術力のレベルというのは主観にすぎませんが、ここでは能力として、プログラミングの仕事をするのに、ブラインドタッチができなかったり、自力でコンパイルエラーやリンクエラーが取れない状態のことを指しているものとします。
コミュニケーション能力とは何か?
そもそもコミュニケーション能力とはどのような能力でしょうか。
「コミュニケーション」という言葉は英語ですが、日本語に訳すと「意思疎通」となります。
つまり、
「コミュニケーション能力」=「意思疎通能力」
となります。この訳違和感を感じる人はにあまりいないと思います。
つまり、コミュニケーションをキャッチボールに置き換えるならば、お互いにボールとして投げ合っているのは「意思」になります。
世間一般で、コミュニケーションを語る際に、このことが重要視されていないように思います。
一般的にコミュニケーションについて語られるときは、
「会話上手は聞き上手」
「相手の話に合わせて、あいづちを入れよう」
「共感することで、コミュニケーションが上手く行く!」
と言った視点で語られることが多いように思います。
そういった考え方が間違っているとは思いませんが、やり取りしているものが「意思」であるということを前提としてあまり語られてはいないように思います。
意思疎通の状態
意思を伝えるということにはいくつかの状態があります。
- 周りの人の意思を尊重しつつ、自分の意思を明確に伝える
- 周りの人の意思を優先して、自分の意思をないがしろにしてしまう
- 自分の意思を優先して、周りの人の意思を尊重しない
- 意思はあるがうまく伝えることができない
- 自分の中に明確な意思がない
この中では、(人によって考え方に違いがあるかもしれませんが)
周りの人の意思を尊重しつつ、自分の意思を明確に伝える
が理想的なコミュニケーションの形であるように見えます。
では、一般的に私達が撮っている意思疎通はどの状態で行えているでしょうか。
新入社員や社会人経験の少ない方でしたら、
「意思はあるがうまく伝えることができない」
という方が多いかもしれません。
私の場合、小さい頃からよく
「お前の話は回りくどい」
「宮崎の話って、最後まで聞かないとよく分からないんだよね・・・」
とよく言われ、怒られました。
まさに、「コミュニケーション能力が低い」という状態です。
ですが、この状態は努力によって改善できると思います。
私の場合、
- 結論から話す
- 優先順位・相互の関連を考慮して話す順番を考える
- 子供でも分かるような説明を考える
- 話が長くなる場合は内容に直接関わらない詳細は省略する(詳細を求められれば都度説明する)
といったことを意識して話をすることであまり怒られなくなりました。(悲しいことに今でもたまに話し方等で指摘されることはありますが 涙)
また、上司と部下の関係で問題になるのは、
「周りの人の意思を優先して、自分の意思をないがしろにしてしまう」
「自分の意思を優先して、周りの人の意思を尊重しない」
というコミュニケーションを上司か部下、もしくは双方がとってしまっているという場合だと思います。
※ビジネスに限定しなくても家庭や恋愛、友達関係とかにもこれは当てはまるような気がします。
明確な意思を持っているのか?
さて、冒頭に書いたプロジェクトのメンバーの方と話をしていて、私が何度も感じたのは、
「この人には自分の意思・考えがあるのだろうか?」
という疑問でした。
私は一人で黙々と仕事を進めるのが好きですが、一方で複数人の開発で、みんなで力を合わせて完成させるようなプロジェクトも結構好きだったりします。
皆で力を出し合って、わいわいと楽しく仕事ができるというのは、一人では絶対に味わうことのできない幸福な時間です。
意思を把握する
複数人で仕事をする際に重要なのは、なんといっても各々の持っている能力を最大限に発揮できるような状態・環境をつくることで、そのためにも各々の希望や考えをまずは把握し、気持ちよく仕事ができるようにできるだけ配慮してあげる必要があります。
自己主張の強い人、あるいは適切にできる人であれば自分からそういった話をしてくれる人もいますが、そういった人は日本では少ないでしょう。
自分から自己主張をする人は少ないかもしれませんが、面談等の場を適切にセッティングすればきちんと話をしてくれる人は多いと思います。
更に言うと、面談等の場ではあまり自分のことを話さない人でも一緒に食事をした際や、会議やミーティングの場での会話などからその人の考え方とか意思といったものはある程度伺い知ることができます。
最近私が悩んだのは、そういった色々な場面を通して話してみた結果、
相手が、「明確な意思をもっていない」と感じる場合でした。
意思があるかどうかはこちらから見た主観になるので、本人には意思はある場合もありますが、その場合「意思表示」をできない(しない)人ということになります。
意思表示ができない(しない)のはどういうときか?
「意思表示ができない」という状態にも理由があって、
「知識・経験が不足しているために判断材料がなく、意思を持てない。」
という状況では明確な意思は持てません。いわゆる「右も左も分からない」「何が分からないのかがわからない」という状態です。
「右も左も分からない」という人に
「右と左、あなたはどっちに行きたいですか?」
と質問したところで無意味です。「・・・」と答えにつまるだけです。この状態では「右か左か」という2択のクローズドな質問にすら答えられません。
つまり、意思を持つためにはベースとなる最低限の知識や経験、知見といったものが必要になります。
※もっとも、意思のある人であればこの状態であっても「右と左の違いは何ですか?」という質問が逆に返ってきたりしてコミュニケーションは成立します。
知識・経験もある程度あるが意思表示ができない人
では「右か左かぐらいは分かる」状態になった人(知識や経験がある程度身についた人)であれば意思表示ができてコミュニケーションが成立するかというとそうではありません。
この状態の人でも意思表示ができない・しない人はいます。
意思とは何か?
ではなぜ意思表示ができない・しない人がいるのでしょうか?
そもそも人間の意志とは何でしょうか?
意思のベースにあるのは「欲求」だと思います。
マズローの5段階説というのはよく語られますが、欲求を適切に持たなければ人は生存し続けることができないと思います。
欲望というとなんとなくネガティブに感じてしまいますが、空腹を満たすという欲求が無ければ餓死しますし、危険な環境におかれている人が「危ないから嫌だ!」と思わなければ長くは生きることはできないでしょう。
そう考えると欲求に従って適切な意思を持たなければ、人間は生きていくことができません。意思を持たないということが生きていく上でマイナスであり、リスクであるわけです。
そして意思表示をするというのは欲求を実現するための1つのステップです。
「生きていく上で芽生えてくる欲求を実現するために必要である意思表示をしなくなるとはどういうことだ・・・」
・・・・・
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・・・・・
ここまで考えて一つの結論に至りました。
私の考えた結論は、
「意思表示することが生きていく上でリスクになる」
ということでした。
コミュニケーションのスタートラインはどこか?
「意思表示することが生きていく上でリスクになる」
とはどういうことかについて、恐らく説明する必要は無いかと思います。
「私は○○がしたい」
「私は○○がしたくない」
と声に出したり、目に見える形にした時点で当事者にとってマイナスのことが起こることは良くあります。
明確な意思表示をしないというのは、ある意味では日本の文化・美徳でもあるので、良くない面ばかりではないとも思います。この国に生きる人間として受け入れなければならないことかもしれません。
ですが、私はどちらかというと明確に意思表示をする人の方が好きですし、意思表示の内容によって、相手にとってマイナスなことをしたいとは思いません。(もしかしたら心の中では色々と思うことが出てくるかもしれませんが)
意思表示の内容を受け入れる場合に、それに対応する結果として相手にとってマイナスとなることしなければならない場合はあると思いますが、それはそこから話し合ってどうするか決めればいいだけの話です。
コミュニケーションというのは、双方が意思表示をしてからがスタートラインに立った状態だと私は思います。
そう考えると、意思表示をしない日本人はそもそもコミュニケーションのスタートラインにすら立っていないんじゃないでしょうか。
というよりコミュニケーション能力というのは必要とされていないんじゃないかと思います。
また、意思表示をしないことが当たり前になってくると意思表示を無意識にしなくなる(できなくなる)と思います。
意識してしないのであれば問題ないのですが、無意識に何かができなくなるというのは恐ろしいですね。
極端な例として「ある日気が付いていたら自分は誰かの奴隷になっていた」ということが十分あり得るんじゃないかと思います。
感想・思ったこと
「言いたい事をなんでもかんでも言う」「言ったもん勝ち」という社会はどうかと思いますが、「言いたい事も言えないこんな世の中じゃ、ポイゾン」という社会は何かに管理されながら生きているようで嫌な感じです。
「言いたいことを言った上で、相手の主張に耳を傾け、お互いに納得できる点を見つける」
これができるのが真のコミュニケーション能力だと思います。
「他人を尊重し、思い遣る」それと同じくらい「自分を尊重し、思い遣る」そういう心を持たないといけないように思いました。
どちらにも共通しているのは「尊重」と「思い遣り」。
この2つがコミュニケーション能力の本質かもしれません。
自分を大切にできない人は絶対に他人を大切にできないですよね。
2017年は始まったばかりなので今年はこのことも自分の心の真ん中に置いておきます。